この番組では木曽義仲(源義仲)の生涯を追いながら、義仲が取った選択をさまざまな分野の専門家たちが検討していた。
後白河にとって最も避けたいのは清盛のような朝廷をおびやかす武士が出現することである。鎌倉には志田義広と行家をかばって関係が悪化した頼朝がいる。ならば義仲が力を持ちすぎないように頼朝を使って調整するのが上策である。
現に後白河が頼朝に出した”十月宣旨”には貢納の施行権を認める地域として、義仲の支配していた信濃国が含まれている。
これは明らかに思ったより使えなかった義仲を「殺してもいいよ」というメッセージが含まれている。
義仲は戦は上手かったが政治センスが欠如しており、上記のような自分の命運を握る後白河の考えを読んでいなかった。
略奪による治安の悪化は飢饉のせいだからどうしようもないが、清盛のように皇位継承問題に口を挟むことは絶対にやってはならなかった。
どうせそこまで言ったなら、もう自分が推挙している”北陸宮”を徹底的に通せばいいものを、結局引っ込めてしまう。
うまく行けば御輿として後白河への抑えに使えたかもしれない。ただ後白河の怒りを買っただけ、という最悪の選択をした。
さらに、後白河と通じた頼朝軍がいよいよ京都へと進軍してきたら、今度は後白河に攻め入り、自身を”征東大将軍”に任命させて周辺諸国から挙兵を募っている。
もともと義仲は平家を討伐するという名目で通っているから、周りから見ると筋が通らない。当然誰も集まらない。そして頼朝軍に負けて討ち取られた。
義仲の失敗は、おそらく武芸一本槍の家で育ち軍事が政治の一部であるということを学ばなかったことにあるのだろう。全体理解の不足が自滅に等しいこの結果を招き寄せた。
日々ネット空間もリアルも複雑さを増し続ける現代においても、このことは当てはまる。自分を取り巻くの環境がどうなっているのか、どの要素がどう自分に影響を与えるのか、煩雑だがつまびらかにしていかないと木曽義仲のように知らず知らずのうちに自滅の道を歩んでいた、ということになりかねない。
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