心理学的に、私たちは新しい人と会う機会が訪れたとき、「自分のことを少なくとも良くは思っていないな」と考える傾向がある。しかしこちらがそう思っているからといって、相手もそう思っているとは限らない。案外好きかもしれない。
コーネル大学・エーリカ・J・ブースビー博士は、どのようにして人は相手から見た自分の評価を低く見積もるかについて研究した。研究方法は被験者たちに研究室、大学の寮、能力開発セミナーといったさまざまな場所で2人1組になって交流してもらうというものだ。
その結果、すべての被験者はこれらの状況で相手から見た自分の評価を、実際の相手からの評価より低く推定していた。これは自尊心が高いタイプの人にも当てはまった。そして、自分が推定していた相手からの評価は、実際に相手が抱いていた評価とは無関係だった。
またこの研究では、被験者2人が交流している間、"私たちは打ち解けているな"、"なんか話が弾まなくて気まずいな"といったお互いに思ったことを紙に書き留めておくようにも指示していた。
この指示で、交流がうまくいかなかったと思っている人は自分を過小評価する可能性が高いことが分かった。
研究結果については、「お互いが思った以上に自分自身に注目しているため、相手は自分が思っているほどこちらをよく見ていないからではないか」と説明されている。
自己批判的であることに苦労している私たちにとって今回の研究結果は安心させられるものである。他人というのは、こちらが思っているほど、こちらを厳しく見ていない。
私たち人間は社会的動物だから、他者とのコミュニケーションが命に関わる。太古の昔ならば尚更そうで、今みたいに他人がわずらわしいから一人でお金を稼いで生きるようなことはできない。そんな中にあって、他者からの視線は厳しく想定しておくに越しておくことはなかった。
そうした用心深い種族が結果として生き残り、現代でも習性として残っているということだろう。逆に言えば他人からの視線に鈍感だったり甘い想定をする種族は生存率が低かった。
しかし危険だらけだった自然界に生きていた時代ならばまだしも、高度に文明化し人口も激増した現代においては過度の警戒は非効率的である。これは以前書いたPTSDの仕組みについても当てはまる。
こういった社会の進歩に人間の体が対応していないがゆえに発生する不都合については、行政が学校のカリキュラムに心理学の授業を導入するなどして補完するべき問題だと思う。
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