なぜ弱者が弱者を叩くのか
日本では現在、悪政による生存環境の悪化から、いじめ、パワハラ、モラハラ、セクハラ、果ては無敵の人による無差別殺人と共食いが活発化している。山本太郎氏の講演動画をよく見ているが、太郎氏のような弱者のための政治を標榜する人物にも、何故かしばしば当の弱者から攻撃が加えられている。
なぜ腐敗した社会では、弱者による弱者への攻撃が横行し、また太郎氏のような弱者の味方に対しても及ぶのか。
いきなり為政者に弱者総出で大挙して、処刑してもいいようなものである。
社会的生物としての合理性
社会システム的にそれが合理的であるからと考えられる。人類は厳しい自然環境の中にあって長い年月生き残ってきた社会的生物である。であるなら、現在残っている社会行動は種族の生存上有利に働くものであると考えるのが妥当である。
人類にとっては特定のシステムに過剰適応すると外部の環境変化によっては全滅するリスクがある。
なのである程度続いたシステムにはアポトーシスが働くよう本能に刻まれている。
弱者が弱者を攻撃するのは、システムを交代させる上で合理的だからである。
弱者といえど徒党を組めば強者を倒せる
なぜが弱者を攻撃するのかという問題については、単純に弱者が強者に挑むと弱者は負ける。だから攻撃するというか、同じ弱者(山本太郎のように強者になろうとしている仮弱者含む)しか攻撃できないのだ、というふうに、能力面における点から答えることもできる。
しかし弱者といえど、圧倒的多数な訳で烏合の衆的に徒党を組んでいきなり強者(旧リーダー)を倒すこともできなくはない。
それをしないのはシステムを崩壊させた後で統制者の座を巡ってその後も弱者同士で争いが続くからである。
そうなった場合、外部リスクに対して脆弱になり結果的にコミュニティ全体での生存率が低下する。
社会的生物にとって、劣化した統制者を排除する以上に、替えの統制者を迅速にすえてコミュニティ内の秩序を回復することが重要なのである。
弱者による弱者攻撃の社会的メリット
弱者が弱者とぶつかれば共倒れして社会の質は上がるし、リソースも浮く。仮弱者(山本太郎のような)とぶつかれば仮弱者はストレスをバネに強者へと成長し、社会変革のリーダーになる。
これにより替えの統制者を用意するという目的もクリアできる。
そして新リーダーが古いシステムを打倒し新しいシステムを構築すれば、晴れてスムーズに主目的である”生物的リスクの緩和”を果たせるのである。
弱者による弱者攻撃にはこういった生物的合理性が認められたため、現在も継承されているものと思われる。
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