大人が「高iq者・ギフテッドだから生きづらい」と主張する事について

2020年8月29日土曜日

IQ・知能 社会 心理学

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※ギフテッドという概念は輸入されたものであるためか、未だにメディアでは定義があやふやなまま使われているきらいがある。この記事では取り敢えず高iq者と似た様な、「吹きこぼれ」的意味合いで使っている。

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自称ギフテッドたちの醜い争い

私は大人の高知能者・ギフテッドが「高iq者・ギフテッドだから生きにくい」と主張する事について否定的である。基本的に彼らのいう”生きにくさ”なるものの原因は、自己とかけ離れた思考回路ないし価値観を有した集団への所属にあるからだ。

幼少期は所属する集団について選ぶ事も一人で生計を立てる事も難しい。故に子供(学生)の高iq者やギフテッドが生きづらいという感想を持つ事は当然だし、支援されるべき存在であると思う。しかし成人となればそれらは可能である。

人生の決定権をとっくに得た大人のギフテッド・高知能者であるならば、それこそ同じ位の知能レベルや価値観を有した集団に自分から移動するとか、周りの人間を教育するとか、自分一人で生きられるような収益システムを確立するとか、いくらでやりようはある。

ギフテッドに限らず、誰だって自己と思考回路や価値観が離れた集団に所属すれば生きにくいわけで、大人になっても周りに文句をつけている者は自己で負担すべき環境構築の努力を怠っていると思われても仕方が無い。

だがインターネットではギフテッドに対する日本社会の対応について、「ギフテッド(≒高iq者)が生きにくく、また社会的評価も芳しく無いのは、日本が遅れているからだ。日本は私たち(子供だけなく私達大人も)を支援しろ」と言った論調が展開されがちである。

生きにくさについては前述の通りだし、評価されないのはその文句を言っている個人が、評価するに値する成果物を社会に提出していないからだ。共同体から支援を受けたいのであるならば、先に共同体に貢献するのが筋である。

多様性の重要さについては認めるところではある。多様な才能、思考回路、価値観からもたらされる知見は確かにリスクヘッジや問題解決の助けになるだろう。

しかし、それらを維持するには多くの社会的リソースを必要とする。コロナ、自然災害、戦争が吹き荒れる現代の様な動乱の時代においては、現実としてある程度犠牲にならざるを得ない状況にある。

世界的にも個人より共同体という流れになりつつあるし、「ギフテッドだから生きにくい、社会は何とかしろ」という主張は、今後とも受け入れられる事は無いように思う。

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