本物のギフテッドは成果物が一目瞭然過ぎて周りがそう呼ぶのでギフテッドと自称する必要が無いし、持てる者であるが故に欲求のレベルも若くして既に自己超越の段階にある(簡単に言えば人々の役に立ちたいという利他的欲求)。
逆に偽物の自称ギフテッドはテストスコアやインプットで天才だと思われる事に腐心し、また社会から配慮や支援といった形でリソースを掠め取ろうとする。
社会側にとってギフテッドとは本物であり且つ貢献する意志を持つという二つの条件を満たして初めて価値を持つ。本物であっても貢献する意志がないなら無価値であり況や偽物の寄生虫をや、である。
翻ってtwitterでは、普段我らが日本の自称ギフテッド様がたはクイズやなぞなぞ・馴れ合い・下らんポエムと本場アメリカのギフテッド顔負けの大変有意義な人生を送っていらっしゃるが、小人(子供のような大人)故によく同類同士で争いが起こり、訴訟だなんだと言う話にまで発展する事すらあるのだ。先日もまたハイレンジIQテストを巡って勃発したようだ。
余程の馬鹿でも無い限りこの無様なやり取りが一般人のギフテッドに対する心象を著しく損なうと思い至りそうなものだが、なぜ奴らはこの恥ずかしい営みを止めようとしないのか兼ねてより不思議であった。
最近それについて答えが見つかった。こいつらにとってはギフテッドである自分が重要なのであって、ギフテッド自体は別にどうでも良いのだ。あくまで主体は素晴らしき己であり、ギフテッドという概念はそれを彩る宝飾品に過ぎない。
たまたま今ギフテッドを見つけたからそれで天才ごっこをやっているだけ。より自己顕示欲・承認欲求を満たしてくれそうなツールを見つけられたなら即座に乗り換える。奴らにとってギフテッドとはその程度のものでしかないのである。
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