安倍晋三元総理が山上徹也に銃殺された。
ニュースを見ていると識者から二言目には「民主主義に対する挑戦である」との意見が飛び出すが、そんなものは見ればわかるわけで、むしろ資本主義と民主主義の併用に限界がきている点に着目するべきだろう。
山上のような無敵の人・ジョーカー問題は資本主義を進めていけば自然と発生する問題で、「身分に違いこそあれ同じ国に住む以上仲間である」という従来の共通認識は是正されるべきである。現実には他人など仲間ではなく、不愉快な競争相手に過ぎない。
twitterを見ても普段は散々安倍を罵っていたアカウントどもが急に掌を返して悼んだり、生前の行動を褒め出していた。死ねばもう競争相手ではなくなるのだからあとは善人面していたほうが何かと都合が良いということだろう。現金なことだ。
安倍晋三はそういった事実を軽く見たため殺された。どれほどの社会的地位や資産を築こうとも肉体が鋼鉄になるわけではない。猿が見様見真似で作った粗悪な銃で簡単に命を奪われる。
今回のような事件を未然に防ぐためにも今後は一定額以下の納税者や希望者へプライバシー情報の提出と参政権を筆頭とした人権の一部制限を条件として最新のインターネットゲーム及びメタバースと合法CBD、月額20万円程度のベーシックインカムを提供するべきだろう。
進行した資本主義は知識社会となり、社会階層については基本的に生まれつきの知能、環境でおおよその決着がつく。件の山上徹也もネット上の記事によれば劣悪な家庭環境(統一教会2世?)で育ち、発達障害(ASD)の傾向を有しており破滅的な人生がほぼ確定していたし、事実そうなった。
生まれついての敗残者たちには安寧の地を用意するのが人道というものである。
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